世はすっかりクリスマス一色だが、俺は今、クリスマスなど全く関係ない、死屍累々たる大規模開発の渦中で働いている。皆、年は越せるのかと思ってる。俺も思ってる。
職場の中はやつれた同僚と、どこから攫われてきたも分からぬ、やる気のまったく感じられない契約社員達ばかりで、かなり背筋の寒くなるような進捗の遅れの中、楽しみといえば窓から見える海ぐらいのものだ。
もっとも、その海だって、ちょっと見慣れれば、逆に「何が悲しくてこんな僻地に」と落ち込む要因になる。
そんな死亡遊戯さながらの職場にあって、ここ一ヶ月ほど、ちょっと面白いことが起こっている。
事の起こりは、壁のボードに付いている磁石。掲示板に紙とかを貼り付ける、丸いやつだ。
ある深夜、ヘロヘロになりながらボードの前を通った俺は、使う者など誰もおらず、ただうち捨てられているボードに、無造作に張り付いているそれら磁石を、何の気なしに矢印の形に並べ替えておいた。
しばらく並べ替えた事すら忘れていたのだが、ある日気が付くと、磁石がリンゴの形に並べ変えられているではないか。
それで面白くなって、数日置いて今度は魚の形に変えてみた。すると一、二週間経ったところで、魚の向きが変わっている。
こんな事が起こるとは思いもしなかった。まるで家庭の冷蔵庫の扉だ。
ちょっと嬉しい反面、複雑な気分でもあった。
よく、「冷蔵庫の扉は家族の掲示板」などと言ったりするが、あれはあくまで家族という結びつきが前提のものだ。
おそらく口もきいたことの無いような「彼」と俺の間にそんな結びつきなどあるわけもない。
そもそも、人海戦術上等な職場では、沢山人がいて、入れ替わりも激しくて、もう誰が誰だか分からない。隣のグループの事など、まったく構っている余裕なんてない。
そんな希薄な繋がりの職場で、微妙な距離、微妙な間隔でやりとりされる、磁石の並び替えに、居心地の悪さも感じていたのだ。
ところが今日、ボードの前を通ると、魚はいつのまにかクリスマスツリーに変わっていた。
限られた磁石を懸命に使って作られた不細工なツリーを見ながら、「彼」は俺みたいな嫌味な奴と違って、いい奴なのかもしれないと思った。